Truyện 17
新聞の始まりって、知ってる? あなたは、新聞を読んだことがありますか。学校の授業でも、新聞記事をとりあげることが、あるでしょう。ところで、新聞って、いつからできたのでしょうか。その始まりは、今から二百年以上前にさかのばります。自分たちの町で、何が起こっているのか知りたい、という気持ちから、こんなものができました……。「さあ、読んだ、読んだ!かわら版だよ!」時代劇で、こんなことをいいながら、人混みの中で紙を配る人を見たことはありませんか。「かわら版」とは、江戸時代に売られていた、字や絵が印刷された紙のことです。かわら版は、ひらがなの多い文章や絵で、だれにでもわかりやすく書かれていました。地震や火事などの災害や、外国の船が来たというような大きなニュースを知らせるものから、伝染氣の流行やその治し方、また「〇〇に怪物が現れた」などという、うそかほんとうかわからないうわさまで、さまざまなことを書いた、かわら版が数多くつくられました。このかわら版は、書いてある内容に節をつけて読みながら売られたことから、「読み壳り」ともよばれました。これが日本での新聞の始まりといわれています。屋根に使うかわらに、文字をほって印刷したことから、「かわら版」とよばれるようになったともいわれています。しかし、かわら版に使われたかわらは、今は残っておらず、木の板に文字や絵をうきぼりにし、これに絵の具をつけて印刷する木版画のようなものが残っています。今から百四十年前、江戸時代も終わりになると、それまで知られていなかった外国の様子や、国内のニュースをまとめた「新聞」が、かわら版とは別に、発行されるようになります。明治時代に入った一八七一年には、日本で最初の日刊(毎日発行する)新聞「横浜毎日新閒」が創刊されました。この新聞は、それまでのかわら版や新聞が、日本の和紙に印刷されていたのに対し、外国から輸入された紙に印刷されていました。新聞には、横浜港への船の出入りや、輸出•輸入されたものの記録、港町で起こった事件、それにさまざまな広告がのせられていました。そのうち、日本じゅうのあちこちでいろいろな新聞が発行されるようになりました。最初のころは、大きな紙に、漢字ばかりのむずかしい文章で、世の中に起こったいろいろな事件やそれに対する感想などが書かれていました。これは、「大新閒」とよばれ、知識人以外は、読むのがむずかしいものでした。そのうちに、漢字にはふりがなをふり、さし絵もたくさん入った、一般の人びとに親しみやすい新聞が発行されるようになりました。こちらは、「小新聞」とよばれました。小新聞には、町のうわさや、上演されているしばいなどのニュース、連載小説など、人びとが関心をよせる内容がのせられていました。小新聞はたちまち大新聞をこえる人気となりました。やがて小新聞も、大新聞にのっていたような、さまざまなニュースものせるようになり、使われる紙も大きいものになりました。この新聞が、今みなさんの家に配られる新聞のように、発展していきました。咿刷の方法も変わりました。今から約百四十年ほど前、木の板に代わって、金属に字をうきぼりにし、はんこのようにした「活字」をならベて使う「活版印刷」が始まります。金属の活字は木に比べてとてもじょうぶです。また、最初は外国から輸入していた紙も、国内で大量につくることができるようになりました。こうして、新聞をたくさん印刷することができるようになっていったのです。 |
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