Truyện 39
金メダル感動物語アンカーの重圧一九九八年長野冬季オリンピックスキー•ジャンプ団体 一九九八年二月、長野県で冬季オリンピックが開かれました。大勢の観吝の声援を受け、日本勢は大活やく。金メダルを五個かく得しました。なかでも、スキー•ジャンプ団体の優勝には、日本じゅうが興奮し、感動しました。それには、ある特別なわけがありました。それは、長野オリンピックの四年前にさかのぼります。一九九四年ニ月に、ノルウェーのリレハンメルで開かれた冬季オリンピック。スキ.ジャンプの団体戦に、日本チームは、西方仁也、岡部孝信、葛西紀明、原田雅彥という四選手でのぞみました。このチームは、世界最強のよび声も高く、金メダルの最有カ候補でした。ジャンプの得点は、飛距離を得点に換算する飛距離点と、飛行中と着地の姿勢で評価する飛型点との合計で決まります。団体競技は、四人のジャンパーがそれぞれ二回飛び、八本のジャンプの合計点で優勝を争います。一回目のジャンプを終えて、日本は二位のドイツに少しの差をつけて、トップに立ちました。ジャンプの団体戦は、それまでの得点のー番低いチームの選手から順に飛んでいくので、二回目、日本選手は最終ジャンパーとしてスタートしました。そして、前評判どおりの強さを見せつけ、トップの座をゆずることなく、ドイツとの差をどんどん広げていきました。この時点で、ドイツとの差は五十五•五点。アンカ—の原田選手が一〇五メートル以上飛べば、日本の金メダルはほぼ確定します。そんな距離を飛ぶことは、日本のエース原田選手にとって、たやすいはずでした。ところが……。これがアンカーの重圧、金メダルの重圧なのでしょうか。競技の最後の最後、会場につめかけた大観衆が、金メダルが決まるしゅん間を見守る中、原田選手はジャンプのふみ切りに失敗してしまったのです。まずい!と思ったときには、手おくれでした。原田選手は空中でみるみる失速し、K点のはるか手前に落ちました。記録は九七•五メートル。合計点の順位はニ他。日本チームの手から、金メダルがするりとにげたしゅん間でした。原田選手は頭をかかえてしゃがみこみ、しばく立ちあがれませんでした。「原田さん、銀メダルですよ。よかったじゃないですか。」チームメイトは、みんなそういってくれました。けれども、原田選手ははげしく後悔しました。「おれは、メンバーの金メダリストとしての人生をうばってしまったんだ... 。」 それから四年。長野オリンピックは、原田選手が失敗を取りかえし、日本チームが今度こそ金メダルにかがやく、絶好の機会となりました。メンバーは二人が入れかわり、西方選手、葛西選手の代わりに、斉藤浩哉選手と船木和喜選手が入りました。アンカーは、新しい日本のエース、船木選手です。その日、ジャンプ台のある長野県白馬は、朝から雪がふっていました。そのため、三十分ほどおくれて始まった一回目のジャンプ。日本は、一番手の岡部選手が一二一•五メートルを飛び、二位ですべりだしました。二番の斉藤選手は一三〇メートルの大ジャンプを決め、この時点で日本チームはトップに立ちまし。三番手は原田選手。いよいよ四年前の借りを返すときがやってきました。この日、原田選手はリレハンメルオリンピックのチームメイトだった葛西選手から手袋を、西方選手からアンダーシャツを借りて、身につけていました。(あの二人といっしょに、白馬の空高く舞ってやるんた!) そんな気持ちでした。ところが、なんという不運でしょう。原田選手がスタ-トを切ろうとするとき、白馬の天気は最悪でした。ふる雪ははげしさを増し、前が見えないほどでした。助走路には粉雪が積もり、助走のスピードが上がりません。結果は七九•五メートル。出場した十三チ一ムの選手中、最下位でした。しかし今回は失敗ではありません。高い技術を持った原田選手でなければ、記録はもっと悪かったはずでした。アンカ—の船選手木も飛距離がのびず、一回目の終了時点で、日本は四位に後退しました。とはいえ、トップのドイツとの点差は十三•六。距離にして、わずか八メー卜ルほどの差です。最強の実力を持つ日本チームにとって、じゅうぶんに逆転可能なはん囲です。天気さえ回復すれば……。しかし、その天気が一向に回復しないのです。このまま続行不能となれば、競技は打ちきられ、一回目の成績だけ順位が決まってしまいます。「また、おれのせいで、みんなに迷惑をかけるのか……。」原田選手の、そして日本チームの絶体絶命のピンチ!これを救ったのは、テストジャンパーたちでした。ジャンプ競技では、悪天候の場合、テストジャンパーのジャンプを見て、競技を続けるかどうかを判断します。そのテストジャンプを、二十五人のテストジャンパーは、一人も転倒することなく、飛びきってみせたのです。その中には、前回のオリンピックのメンバーだった西方選手もいました。こうして二回目のジャンブが始まると、天気は回復し、日本チームは、それまでのうっぷんをはらすかのように、大ジャンプを連発しました。岡部選手の一三七メートルでトップに返りざくと、斉藤選手の一二四メートル、原田選手の一三七メー卜ルで、二位のドイツとの差を二十四.五点に広げました。あとは、競技の最後をしめくくるアンカーの船木選手がー〇六メー卜ル以上飛べば、優勝はまちがいありません。そして結果は……じゅうぶんすぎる一二五メ—ル!日本は、悲願の金メダルをかく得したのでした。ジャンプを終えて、そのまま後ろへたおれこんだ船木選手に、原田選手が、斉藤選手が、岡部選手がかけよっておおいかぶさり、みんなで喜びを分かちあいました。四年分の重荷をおろした原田選手は、人目もはばからずに大泣きしました。インタビューで、金メタルを決めるジャンプを飛んだときの気持ちをきかれ、船木選手はこう答えました。「リレハンメルの原田さんの気持ちがよくわかりました。目には見えない、とてつもない重圧……。これは言葉にできません。」 |
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